去る7月、長崎外国語大学の1年生を対象にした「キャリアプランニングI」の講義を担当するという、貴重な機会を頂きました。
大学生になった早い段階から、キャリア形成や職業選択を視野に入れた考え方を養うため、外部から講師を招いて実社会の体験に基づいた話を聴く、という目的で設けられた授業なのだそうです。
まず、こうした授業があること自体、今の学生さんは本当に恵まれていると感じました。しかし、まだ就職に直結するノウハウへの関心より、将来自分が何をしたらいいのか迷っている段階の人が多いのではないか・・・
ならば、私が一方的に話すのではなく、学生さん自身にも授業に参加してもらうよい方法はないだろうか。そう考えて、「就職して5年目の自分(なりたい自分)」を想定して「取材」し「記事」にまとめる授業にしようと計画しました。
これを考え付いたのは、長崎新聞で今も連載が続いている「きらめく女性たち」の欄で、2005年9月、私が記事に取り上げていただいた経験からでした。
記者の方に尋ねられるままに、生まれ育った家庭環境、学生時代の思い出、社会人になったばかりの頃の苦労話やその後携わった仕事の事など・・・とりとめもなくお話した事が、実にすっきりとした記事にまとめられ、あらためて「私ってこういう人生を歩んできたのか」と認識したことを鮮明に覚えています。
とりわけ私の心に大きな影響を与えたのは、記事の最後が
<「相手の立場で考え、形がないところからニーズを探し出す接客業は最高の職業」と天職を究める決意だ。>
と結ばれている事でした。
それまでは、ただ目の前のことに一生懸命取り組んできただけで自分の目標や夢、ということすらあまり考えた事がなかったのですが、「接客業は天職」という活字に自分の思いが集約されてみると、あらためてしっかりと軸足が定まり、不思議な力がわいてくるように感じました。
よく、スポーツ選手がイメージトレーニングの大切さを説いていますが、それと同じことで、仕事で活躍している将来の自分をイメージし、文章に「固定化」してみることは、私も経験したように、自分の心理に必ずプラスに作用するはずです。
そして、その「文章」も、「私はこうなりたい」という視点ではなく、新聞記事のように「第三者から見た自分像」として捉える事で、客観性が生まれ、よりインパクトのあるものになるのではないでしょうか。
さて実際の講義に入り、
・過去の自分は、「何をしてきたか」そして、それにはどんな理由や背景、周辺の環境があったのか。
・現在の自分は「何ができるのか」そして、その理由や背景・環境は。
・未来の自分は「何をしたいのか」そして、その理由や背景・環境は。
こうしたことをまずキャリアシートとして箇条書きに洗い出してもらいました。
そうすると、将来何をしたいのかがまだわからない、という人でも、「自分が好きな事」や「自分の目指してきた事」を振り返ることができ、それをふまえて、就きたい仕事を、想定しやすくなってきます。
その上で、この「記事雛形シート」を、埋めていきます。
その時のポイントは、多少大げさであっても、思い切り自分を肯定すること、褒めること!
そして、今回の講義では、将来の仕事が何であっても「ホスピタリティ」を自分の信条としている、ということを大前提にしてもらいました。
講義の前半で「ホスピタリティ」とは何かをお話ししましたので、それを自分なりに取り入れて、表現してもらいたい、という狙いもあったのです。
隣に座っている人同士で、お互いのキャリアシートを交換し合い、記者になった気分で相手を褒めたたえた記事にする・・・
この作業を始めると、教室は楽しそうなざわめきでいっぱいになりました。結局、時間が足りなくて、全員が完成というわけにはいかなかったのですが、ホスピタリティについて、こんな素晴らしい言葉で表現してくれた学生さんがいました。
「共感すると、幸せの数が増える」
これはまさに、ホスピタリティの真髄!と私はいたく感心してしまいました。相手の心に寄り添い、相手が嬉しい・悲しいと感じることを共有する。それが、全てのホスピタリティ・パーソンの出発点であり、到達点でもあるからです。
講義終了後、参加した皆さんから感想をいただいたのですが、中には、「まだ将来の夢がないので不安・・・」というものもありました。
夢を持つことは確かに大切です。でも、それが何なのかわからないときには、無理をしなくていい。目の前のことにひたむきに取り組んでいればきっと何かが開けてきます。
この場を借りて、講義の中では紹介できなかった次の物語を「夢が見つからない」と悩んでいる人たちに贈りたいと思います。
物語のタイトルは「聖母の軽業師」。アナトール・フランスという作家の短編です。
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信仰厚いバルナベという男は、ナイフ投げの曲芸を得意とする軽業師でした。
ある日街から街へと渡り歩く旅の途中で、バルナベはひとりの修道士と道連れになります。そうして道すがら、神様のことについて語り合っているうちに、その修道士はバルナベのまっすぐな信仰心に打たれ、自分の修道院の一員として迎え入れる事にしました。
バルナベは軽業師の職を捨て、喜んで修道院での生活を始めたのですが、周囲は教養ある、徳の高い修道士ばかり。次第に自分の無力さに打ちひしがれていきます。
大切なマリア様のために捧げられることは何だろうと考えに考え抜いて、バルナベが至った結論は、「ナイフ投げ」でした。
他の誰にも真似のできない、自分にできる最高のこと。
その日からバルナベの眼は輝きを取り戻し、皆が寝静まってから礼拝堂に赴き、聖母像の前で、毎日一心にナイフ投げの曲芸を行なうのでした。
しかし、その行為はついに他の修道士の知るところとなり、「神聖な場所で、曲芸をするとは言語道断」と、ナイフ投げの現場を取り押さえようとします。
いつものように、一心不乱に聖母像の前で芸をするバルナベ。物陰から修道士達が彼を取り押さえるために飛び出そうとしたその時です。
祭壇の上から、石造りの聖母像が動いてゆっくりとバルナベに歩み寄り、そのヴェールで優しくバルナベの汗をぬぐったのです。
バルナベの一途さがマリア様に届いて、この奇跡を起こしたのだと、修道士達は畏れの中で悟ったのでした。
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