庭の白梅が、今年は遅いようです。気になって家の2階へあがり、窓から見てみると、ちょうどこちら向きに一輪、花が開いていて、まるで花と「目が合った」ようでした。その枝の周囲には、そろそろ咲きそうなつぼみもいくつかついていて、それを見て、無事に咲きそうだと、ちょっと安心したのでした。
去る2月23日に、大村市で「安心・安全がもたらす患者満足の医療」というテーマのもと、「日本医療マネジメント学会 第8回長崎地方大会」が開催されました。私も、この会場へ出展した自社ブースから、学会の様子を目の当たりにできることになりました。ブースには、医療業界へのお役立ち業務として、癒しの空間環境を演出するための絵画展示や私が所属する日本ホスピタリティ推進協会の紹介も行ないました。
前回のこのコラムで少し触れましたが、ホスピタリティという言葉は、ホテルともホスピタル(病院)とも語源を同じくしています。私は常々、ホテルのような一般的なサービス施設における顧客満足と、医療の場でのお客様、すなわち患者、の満足の相違点について関心をもっていました。そうしたこともあり、事前に目をとおしていたこの学会の趣意書から、私は、内容はホスピタリティにも関係の深い、医療現場での接遇マナーなどについての事がかなりの比率を占めるのだろうと思い込んでいました。
しかし、当日手にしたパンフレットを見ると、内容は、医療現場の安全管理に関する8つもの異なるテーマの発表に始まり、医療連携についてのシンポジウム、医療ADR(裁判によらない紛争解決手段)についての講演、クリティカルパス展示、NST、在宅支援など多岐にわたって専門的な演題が並んでいます。こうしたひとつひとつの問題が、高度で複雑にからみあっており、感じの良い接遇で患者満足度を上げましょうなどと簡単にまとめられるものではないという事がわかってきて、考え込んでしまいました。
医療においての「患者満足」とはそもそも何なのでしょうか。
話は少し遡りますが、1月の半ばに、NHKで「医療現場のコミュニケーション」についての特集が放映されていました。平成17年の調査によると、医療現場で患者から暴行や暴言を受けた事がある看護師は37%にものぼるというのです。その背景には、医師や看護師の数の不足に加え、医療行為が機械化されることで、患者と医療従事者の間のコミュニケーションがうまく取れなくなっていることがあるのではないか、という立川病院の地域連携室の方の見解が示されていました。
番組のコメンテーター・本田宏(医療制度研究会副理事長)さんは、「病院に来る人は、心にも痛みを負っている。私たち(医療従事者)は、患者さんのパートナーであることを忘れないで欲しい」と述べ、その上で、「患者側が医療側の現状を知らなさ過ぎる」ことも指摘されていました。コミュニケーション不足を解決する初めの一歩は、相手のことを知ろうとする、歩み寄りの心でしょう。たしかに、専門の知識を必要とし、緊張の中で絶え間なく行なわれている医療現場の現状について、患者側が思いを致すのは難しいことです。でも、自分の事しか考えず、全てお任せ状態でいることが、患者としていいこととは思えません。
患者が望む一番のものはもちろん病気の治癒です。ただ、悲しい事に、病気は治ることも治らない事もあります。治るまでに、思ったより時間がかかることもあり、苦痛に耐えながら、治療をしなくてはならないこともあるでしょう。患者にとっては、こうしたことを乗り越えて行かねばならず、その過程では「満足」よりも「納得」が、まず必要なのではないかと思います。
患者が自分の今の状態を把握し、きちんと「納得」し、主体的になるために、医療に従事される側は、しっかりと患者さんの目を見て、向き合う事から始めてほしい、と切に願います。私は、長崎県の医療安全相談センター協議会に委員として参加しているのですが、センターに寄せられる住民からの相談事例でも、医療従事者側の何気ないひと言や、ぞんざいな態度に端を発した不満というのがとても多いのが現状だからです。
現在、「医療メディエーター」という、患者が思ったことを言える立場の人、いわば仲介者を病院に置いて、医療紛争などを防止するという試みもなされているそうです。これも、「納得」を促す上での有効な取り組みだと思います。学会の講演でも紹介されていましたが、医療訴訟に関わった弁護士への満足度はとても低く、法的な解決が必ずしも患者の求めるところではないという調査結果があるそうです。
自分の都合や主張のみを押し通した結果、医療萎縮や医療崩壊ということを招いてしまえば、結局のところ一番困るのは患者の側なのです。時間も、手間もかかるように感じられても、やはり当事者同士が歩み寄る努力の上に、信頼が生まれ、望ましい医療の実現が見えてくるのではないか。ホスピタリティの根幹である、尊厳ある相互容認は、ホテルでも、医療機関でも共通なのだ・・・そんなことを考えさせられた学会での一日でした。