船橋佐知子の長崎新聞@コラム

2007.11~2009.8に長崎新聞WEBサイトの「@コラム」を担当し、11篇のコラムを書かせていただきました。この度、長崎新聞社様が事情により過去記事を削除されることとなりましたので、長崎新聞社様のご了解を得て、当法人のHPに再掲載するものです。

☆初公開!幻の未掲載コラム☆

この文章は第5回用の原稿として準備していたものですが、思うところあって「折鶴が運ぶホスピタリティ」に差し替えた経緯があります。 ここに記したことが、このアートコンシェルジュの原点ともいえる経験です。

絵画のもたらすホスピタリティ

この季節になるといつも、私はそわそわと落ち着かない気分になります。10年ほど前から毎年、会社の多目的ホールを会場に、東京の画廊さんの協力を得て絵画展を開催していて、その準備が大詰めになってくるからです。

 

1年のうち、たった3日間だけ大村に出現する美術館として、つかの間、地域の皆さんに絵画鑑賞を楽しんでいただければという思いで始めたのですが、毎年思いがけない出会いがあって、気付けばもう10年ちかくが経過していました。

 

最初の年、あるご夫妻が、シルクロードをテーマに描き続けている画家の絵に目を留められ、もっと大きな作品を見てみたい、というご要望をいただき急遽東京から絵を取り寄せる事になりました。

 

2日後の絵画展最終日に再度ご夫妻にお越し頂き、届いたばかりの絵をその場で荷解きしました。

 

そこに現れたのは、昼間でも星が見えるほどの紺碧の空の色、乾いた大地、その大自然の中であまりに小さな人間の存在・・・そうした世界がキャンバス一杯に広がっている作品でした。間近で初めて見る大きな油絵の持つ迫力に、私は圧倒され、その場に立ちすくんでしまいました。

 

肩を寄せ合ってしばらくの間その絵をご覧になっていたご夫妻が「いい絵ですね、やっぱりこれにしましょう」とおっしゃってようやく我に返ったのですが、その時の、絵を見ることによって涙が出るほど気持ちが動かされたという自分の体験が、これまで毎年絵画展を続けてきた原動力といっても過言ではないような気がします。

 

絵画の楽しみ方は、ほんとうに人それぞれです。

投機目的で、絵画を求め、高値で取引するという人も一部にはいて、それも、ひとつの絵画との関わり方であると思います。

また、西洋において絵画は、ある時期まで限られた階級の人だけのものでした。絵の中に盛り込まれた寓意を理解するだけの教養が必要とされていたのです。現代では、美術館での絵の鑑賞が、似たような行為かもしれませんね。「名画」の生まれた時代背景をひもとき、画家がたどった歩みに思いを寄せて絵画に接すると、より理解が深まって作品への親しみがわいてくるものです。

 

ただ、話が絵画の事に及ぶと、「私は美的センスがないですから」とか「そんな高尚な趣味はわかりません」などとおっしゃる方が時々いらっしゃるのですが、私はもっと無心に、単純に、絵画を楽しんでいいのではないかと思っています。

 

桜の季節や新緑の頃、木々を見上げて「綺麗だなぁ」とか「爽やかで気持ちがいいなぁ」と感じない人はいないでしょう?

絵画も、それと同じ事だと思うのです。「なんだか、好きだな」とか、「面白いな」とか「懐かしいな」とか、そんな風に、ふと心が動く、それが絵画を楽しむ出発点ではないでしょうか。

 

ある年、依頼を受けて、病院のホールを会場にした絵画展を開催した事があります。

絵画を搬入している時から会期中ずっと、毎日欠かさず会場を訪れてくださった車椅子の男性。数年前に片足を切断する手術を受けられ、今また、もう片方の足までも切断せざるを得なくなっての入院という事を話してくださいました。

ゆっくりと時間をかけて11点を見ておられ、「私の残された人生、絵でも描いて過ごすしかありませんね・・・」と静かにおっしゃったその方に、私は返す言葉が見つかりませんでした。

 

病院での絵画展をきっかけにして、私は絵画の持つ「力」についてあらためて考えるようになりました。

 

「癒しと安らぎの環境フォーラム」という、患者の立場に立った環境作りに取り組んでいる医療機関を顕彰する組織があることを知ったのも、ちょうどその時期でした。このフォーラムは周辺の諸事情からわずか2年で解散してしまうのですが、そこで表彰を受けた医療機関や諸外国の先進事例に、必ずといっていいほど絵画が取り入れられていました。

 

これまで、ともすれば機能性一辺倒の考えで設計されがちだった医療機関の建物は無機質な白い壁と天井がその大部分の面積を占めています。

しかし、そこに一枚の絵画があるだけで、非日常な冷たい空間に、血の通うような温か味とリズムが生まれます。

それは、絵そのものが持つ力というより、その絵を目にすることによって私達の「心」が動くからに他なりません。

そしてその「心の動き」が、感性を目覚めさせ、治癒力までも高める作用をするのではないでしょうか。

 

フローレンス・ナイチンゲールが著した「看護覚え書」の中にも“Colour and form means of recovery.(色と形は回復への鍵)”という言葉が見られ、目に映るものの変化が大切だと説かれています。

前々回のこの欄でも少し触れましたが、病気の回復には患者側が主体性を持つ、ということが大切で、感性が目覚めるというのは、ちょうどスイッチが切り替わるように、受動から能動への転換のきっかけとなるのではないかと思えるのです。

 

こうした、絵を媒体とした感性の目覚めを必要とするのは、何も病める人に限ったことではないと思います。

 

これも随分前のことになりますが、久留米市の石橋美術館を訪れた時、ある展示室にマネの自画像が飾られており、それをじっと身じろぎもせず見つめている青年がいました。

私達が展示室を一周しても、まだその青年は絵の前から動きませんでした。

彼は、あの絵の前で、何を考えていたのだろう・・・。超えなければならない何かと対峙するとき、人は絵を見ることで前に進む力を呼び覚まそうとするのではないか。

そんなことを思わせる光景でした。

 

絵は、必ずそれを描く人がいます。そして完成すると絵は作者の手を離れ、空間を、時間を超えて人々の視線を受け止めるわけです。

描く人の思いと時間が画布の上に凝縮され、そしてそれを見る人の心が呼応して、そこに一期一会の感動が生まれてくる・・・まさに、絵画のもたらすホスピタリティですね。

 

私の絵画展にお越しになるお客様は、皆さんとても楽しそうにしていらっしゃいます。毎年来ていただけるご家族や、絵画展を待ち合わせ場所にして、数年ぶりにご友人と再会されるというお客様、絵画の同好会を上げて来場されたりと、終日なごやかな雰囲気に包まれています。

 

今年も、絵とお客様と、どんな出会いが待っているのか・・・本当にいまから楽しみです。